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安政三年の初夏である。江戸番町の御廏谷おんまやだにに屋敷を持っている二百石の旗本根津民次郎は箱根へ湯治に行った。根津はその前年十月二日の夜、本所の知人の屋敷を訪問している際に、かのおそろしい大地震に出逢って、幸いに一命に別条はなかったが、左の脊から右の腰へかけて打撲傷を負った。
「あいつらと来たら、すぐこれ!だからね」
「へえ。――ズブツとね」
「え、御老人、どうしました?苦しいですか」
房一は思はず笑ひ出した。
「これはあなたがお乗りになるので――?」
と、相沢は口ごもつた。
彼が感動したのは他でもない、決してつかまらない年月といふもののふしぎさ、その尨大な、とりとめもない曖昧さ、しかもなほ決して空虚ではない、いや空虚とその反対のものが一杯にまざり合ひ、犇ひしめき、微妙につながり合ひ、その或る時は軽快に、或る時は重々しく、何かはつきりしているかと思へば混乱し、――さういふ得体のしれない経過のせいだつたのである。
「やあ、しばらくで」
と云つた。
「をかしな男だな」
「あゝ、さうか。あゝ、さうか」
「どうしなさつた」